『仁斎論語』

‪子曰、如有王者、必世而後仁。

「子の曰く、如(も)し王者有らば、必ず世にして後仁ならん」(孔子がこういわれた。もし王者が世にあらば、必ず一代にして仁をもってあまねく世を潤わすだろう」‬


• ‪江戸時代とは、武士が支配した時代である。それは、仁斎のような町人出身の身分なきものが政治批判を行うことは大変危険であった時代である。だから市井の学者さんたちは政治を批判するときはギリギリ、道徳から批判したのである。そのとき鍵となるのが「仁」の概念だ。仁斎は大意でいう。「王道とは仁を根本とする。この世に一人で生活の場をえないものがいれば、それは仁ではない。この世で一物でも生育を遂げることができなければ、それは仁ではない。上は朝廷から海の涯(はて)の遠くまで、人びとが生を喜び楽しんで一体をなし...」(子安氏訳、講義レジュメより引用)。子安氏の解説によると、一人でも食うことができなければ仁性ではない (「一夫その所を得ざるは、仁に非ず」)。ヨーロッパ近代の市民道徳の思想で、一人でも食うことができなければ愛ではないとはっきり言っている思想があっただろうか?( スピノザ『エチカ』の読みから、マルチチュードを愛によって根拠づける考え方は、21世紀からである。) もちろん近代の感覚からすると、道徳から政治を正すことには限界がある。アベノミックスの格差をつくる政治にたいして、政治から政治に働きかけなければならないだろう、デモクラシーとは何か?それを実現する方法はなにかと問いながら。だけれど、わたしが知らないだけかもしれないが、グローバル時代におけるデモクラシーとは何かを根本から問うことがはじまっているのかしら?