末法思想

末法の時代においては、"もう何も失うものがないからこそ、何かを獲得することができる"のか?そうではない。"もう何も獲得できないときにも、なにかを失うことはできる"。その"なにか"とは、半分死んでいるような半分生きているような過去のこと。現在は末法の時代か?