国家理性

‪小池Yは原子力規制委員会に対して異論を言わないと発言した。原発災害は誰もがそれが再び起きる可能性を知っている。小池Yはそのときには責任をとるつもりがないのだ。では国の誰が責任をとるのか?原子力規制委員会は再稼働を決定したのは自分でないと言い続けだろう。そうして国は間違いをおかさないとばかり国は責任をとることはないのだろうか?もしそうならば、原発体制は無責任体制の完成如きものであり、その中心に国家理性の高慢があるといわれても仕方ない‬。だけれど外の視点に立つとき、その高慢は時代遅れの一国主義的孤立と言わざるを得ないのだけれど