21世紀デモクラシーとは何か

古代ギリシャの人々が議論して問うことを実現したデモクラシーと、古代ローマの選挙するデモクラシーは同じではありません。不可避的に、暴君は選挙から現れます。このことはローマでは避けられなかったのです。現在、拠り所となる、21世紀デモクラシーとは何かを問うことなく、何か空ろとなってしまっていることの理由がここにあります。外部の広い世界をみますと、現在議論されているのは、グローバル資本主義へズレてしまった、普遍主義の物の見方(人類)の中でいかにこれとは別の見方をするかという点です。人類と共同体(アジア)に立つ見方が要請されているのだとおもいます。具体的には、反緊縮の方向と、祭政一致をやめる方向(アジアとの共存の条件をつくるために、表象に文化的起源を持ち込むことをやめる方向)ではないでしょうか?