仁斎論語

‪『論語』は孔子の人生である。と、弟子たちや後世の人々によって、孔子の言葉がそういう風に編集されている。孔子は‪『論語』を読んだわけではない。彼の死後、『論語』ができた。そもそも孔子が生きている間にすでに弟子たちが孔子と共に孔子との対話をつくったのである。ところで‪『論語』の最後のほうで、隠者たちが色々な姿をとって孔子の前に現れる。乱世の世に孔子の公に関わった人生が無意味だと読者に告げる以上は、隠者は孔子の人生の全体を見渡していた。もし彼らが今で言う所のストーカーでなかったとしたら、隠者は‪『論語』を既に読んだにちがいない。否、隠者たちの正体は弟子たちだったかもしれない。だから何もかも知っていたのだ。想像が膨らむ。『論語』を読み解くために、注釈のほかに探偵が必要だ。それにしてもこの謎の隠者たちは現れるときどこから現れるのか、大変気になる。『論語』という建物の内部の中に入った読者からすると、隠者というのは、なにか、『論語』の中の地下室に潜む存在だ。結局2500年間したたかに生き残ったのもこれから生き残るものも、巣穴の彼らなのではあるまいか