温故知新


‪子曰く、故(ふる)きを温(あたた)めて、新しきを知らば、以て師たるべし‬


1、‪「温故知新」は、『思想史家が読む論語』(2010)によると、これは「温故而知新」と解すべきで、学びえたことを温習することで、新たな知を導くことが問われているという。新たな知がある以上、それとそうでない知との関係が問われよう。これは、現在に則して考えると、2017年において、何が終わり、何が始まるのかを問うことなのである。思想史の転換を知るためには発想の根本的転換が必要である。「温故知新」は古典を学ぶことで 新たな意味が見出され、新たな言葉が導かれてくるのである。人間をめぐる新たな言葉を導くのである。フランス語訳 (Le Maître dit; < Qui peut extraire une vérité neuve d'un savoir ancien à qualité pour enseigner>)では「新しき真理」となっている。だが、「温故知新」が問うのは、再び「真理」に絡み取られるまえに、初めて言われる新しいことについてである。


2、ここで、古典となった1980年代ドウルーズ&ガタリリゾーム」を取り上げてみよう。‬


‪「ノマド達は何をしてきたか?彼らは国家機構に対抗して戦争機械を、国家機構とはまったく違ったやつを発明した。樹木-国家に対抗するリゾームとしての戦争機械。樹木状組織こそはまさしく国家権力である。」‬

‪ここでは、「ノマド」は思想史の転換を為す運動の方向性というような意味で理解したい。「リゾーム」の著者たちは敢えてカンボジニア戦争やベトナム戦争にいわれた「戦争機械」の語を使って別の意味を与えたが、思想史を転換させる力というふうに理解する。‬

3、「応仁の乱」をどう見るか?「戦争機械」と等価の意味を読み出すことは可能か?15世紀の「応仁の乱」とは、朝廷・山門・武家からなる権門体制的国家の終わり、文化・学問・知識を独占する権力の解体、文化・学問・知識の一般化、平民化を用意する(「脱コード化」「脱領土化」)。同時に、ここから、徳川ジャパンの武家権力による幕藩体制的国家の始まりが始まる(「超コード化」「再領土化」)である。

(「応仁の乱」の時代、焼失を避けるために、僧侶たちが書物をもって京都から脱出した。彼らを迎えた四国や九州から近世儒学が立ち現れるくることは大事な歴史である。また在京武士たちの避難脱出によって「小」京都が全国に沢山できていくことになった事実が指摘されている。)‬


‪4、思想史からみると、江戸時代は知識革命である。それは「古学」という学による「革新」である。天皇・寺社・貴族の「上」は学ぶことをやめてしまった時代、代わりに民が学ぶ時代。この時代の思想史地図を作るとき、問題となるのは、徳川ジャパンにおける学問と文化の平民化の方向性を以て、新しい線をいかに引くかである。仁斎「古義堂」に、脱コード化の方向性をもった再領土化が実現した。‬

‪「国語」と「日本語」は同じ二つではない。「日本語」は外部からみた視線をもっている。そして「国語」の憲法と旧憲法として、近現代文学と古典があるかの如く受けとめられているならば外部性を欠いている。仁斎論語は古典に属するがその部分ではない。寧ろ近代の意味を問う「マイナー文学」ではないだろうか (ここでマイナーとは、確立した物の見方(近代)のなかでそれとは別の見方をする外部のことである)‬


5、‪「いまある制度」とはなにか?それは三つから構成されている。‬


‪(1)安倍政権と日本会議が根差そうとしている、「いまある制度」とは、明治維新の新・権門体制(旧権門体制に下級武士、軍人、官僚を加えた支配体制)‬

‪(2)表象に文化的起源をはめ込もうとする、祭政一致に行く方向から、「いまある制度」の中から内部に則して「深く考える」反省‬

‪(3)「この道しかない」。市場原理しかない。その一個の高位の統一から、諸要素が「いまある制度」とは別の可能性を排除していく形でしか情報を受け取れないような意味作用と主体の中心化‬

世論調査によると、野党候補については「50代以上に支持が厚い」、自民党候補については「20代、30代に支持が厚い」。だけれど市場原理という死んでいるものを生きていると希望を感じているのはなぜだろうかー自民党的なものにリアルなものを感じないのに。でしょう?ここで、誰がネオリベグローバリズムの市場原理(後期近代)を物語るのかというポイントがある。安倍自民党が蘇らせようとする「国体」的過去を批判的に考えることもないままに、「日本人」の文化的起源をいう日本会議に連なっていく希望が物語る市場原理。経験的なものにたいする反証の精神がこの文化的言説のなかに眠らされているようにみえる。そうしてだんだん喋れなくなってきた。目覚めよといわれるけど、仮に夢の中でも、危険をかんじることなく、もっと自由に喋らせてくれという要求は存在する。一番抑圧されている若い人たちの間から初めてでてきた要求かもしれない。何とかここから脱コードの巻き返しが始まらないだろうか‬