仁斎論語

‪Le Maître dit; < Á quinze ans, je m'appliquais à l'étude. À trente ans, mon opinion était faite. À quarante ans, j'ai surmonté mes incertitudes. À cinquante ans, j'ai découvert la volonté du Ciel. À soixante ans, nul propos ne pouvait plus me troubler. Maintenant, à soixante-dix ans, je peut suivre tous les élans de mon cœur sans jamais sortir du droit chemin.>  ‬
‪ー Confucius, Les Entretiens ‬

‪「子曰く、吾十有五にして学に志す。...五十にして天命を知る。」(現在の高齢社会では60歳?)
‪仁斎によれば、「天とは、これを為すことなくして為し、命とは、これを致すことなくして至る。皆人力の能く及ぶ所に非ず。」という。子安氏の説明によると、「仁斎は人事を尽くしてもなお人生上に見出す結果を天命として順受すべきことをいう。」難しい所だが、何か、同一化を欲しても天との距離は消せないが、あたかも距離がないかのように、天命が人に存在してくる、と、天命が表象されていたことを憶測し思い描いている。さて17世紀の思想からすると、朱子の「天命」の宇宙論的理解は大き過ぎた。古学の仁斎は「天命」を理念的道徳の地平の内部に置く。五十歳というのは、そこではじめて可能となる有限者からする己の生の自覚である。「これしかないし、あるいはこのようにしかならなかった」(『思想史家が読む論語』)。他方で、「学」を現代の感覚で国家の(ヒエラルキーを作り出す)学校教育への依存とするのは卑小すぎるのである。17世紀にとっては、「学」は、恐らく時代と対等の大きさをもった批判精神としてあったのだから‬