超憲法的なものとはなにか?

憲法的なものとはなにか?

憲法的なものとしての国体論があって、ここから、祭政一致の祭祀的国家と国家神道が成り立っていった、と、子安氏は指摘している。敗戦後、大日本帝国憲法が終わった。だが超憲法的なものもいっしょに消滅したのだろうか?消滅したかもしれないが、消滅し切ったといえるだろうか?超憲法的なものは、半ば死んでおり半ば生きているというような形で存続しているかもしれない。超憲法的なものがあるならば、憲法は病んでいるのである。このことは、法の視点だけではみえてこない。倫理学の視点をともなわなくてはみえない(言説化できない)。ここからどういうことが起きてくるのか?再び、国家神道が戦前そのままの形で復活することはないだろう。同じことは繰り返されないからだ。問題は、戦後の国家神道は、'立憲民主主義の価値'みたいに(!)、多様な思想・信仰の共存のための枠組みと無矛盾である言説を展開しようとすれば、超憲法的なものに依り所をもつことになるであろうという点だ。憲法を改正する必要もない。超憲法的にいえば、祭祀国家が主宰するものは如何なる宗教を超えた高さにあると教えてくる危険がある。戦前からの連続性を夢みるナショナリズム、夢みる国家にとって、目覚めは死である。超憲法的なものを絶えず発明することをやめない。こんな歴史の悪夢から目覚めたいのだけれど