思想の住処

‪『ユダヤ人問題』を考える。否定の果てに行う内部の二重化は、否定する形式に拠って行うから宗教的である。マルクスは、再び内部に絡み取られないように、『ドイツイデオロギー』で交通概念へ行く。これは、オリジナル(起源)批判の70年代に、ボードリヤールにおいてポストモダン的に考えられることになった。私はこうした仕事を読んだのは、差異としての形象が問題となってきた80年代のときだった。何とかこれを外部の問題として考えるようになったが、この思考は、歴史の条件が問われることになった90年代においてであった。‬そのあと言説は、ポストコロニアリズム(70年代に遡る)、マルチチュード論と帝国論へと移っていった。外部の思考はこれらの言説との関係で再構成されていったが、挫折ばかりしている。現在は東アジアの問題に即して考えようとしている。思考は「滑らかな空間」を住処としているが、本当にそれほど"滑らか"なのだろうか?