ロシア革命100年の意味

ロシア革命が起きたこと、十代のときの私にこれを知らせてくれたのは、ショスタコーヴィッチの音楽、そして大島渚「日本の夜と霧」だった。100年の意味なんて誰も知らないとおもう。マルクスの理論でしかなかった社会主義は現実化したと思い出して、19世紀のその始まりを再び語ってもね、新しく何かが付加されるのかしら?グローバル資本主義のなんでもかんでもカネがものをいうような時代は、百年前の、20世紀初頭からはじまったのだから、ここから考えることが大切。このとき、理がなければもうやっていけなくなったと考えた社会主義者の間で、フランス革命の意味が問われたのである。自由な議論はあったはずだが、一国社会主義という物の見方が一度確立してしまうと、その中にあってこれとは別の見方をするのが難しくなっていった。そうして無誤謬主義の偶像崇拝へ行く。スターリニズムを生みだした近代の経験から何を学ぶか?17世紀伊藤仁斎の朱子学批判の古学にこのポイントは言われていることで、近代の入り口にいた知の視界からはっきりとみえていたかもしれない。理というのは実のある真(信)と同じであるとは限らないということ。Rationalizations and true reasons are not the same thing. 近代の一番端に位置しているだろうこの時代に、だからかもしれないのであるが、原理主義の近代が席巻している。思考の柔軟性を以って、この問題をよく考えてみる価値があるとわたしはおもう‬