仁斎論語

‪鬼神論を読む


十数年前の話からはじめることをゆるしていただきたい。アイルランドの支配階級に属した画家ベーコンと作家ベケットの青年・少年時代は、権力の移行が起きたときにあたる。それ以来、支配者達の信者が集まらなくなって不動産として売りに出された教会とその墓場をダブリンで幾つか目撃した。建築物は死者だけではやっていけないことをかんがえてしまった。このことは宗廟においても同様だろう。" 鬼神"は死者の意味である。荻生徂徠によれば、" 鬼神" というのは 、「聖人」による命名(制作)による。「聖人」がはじめて" 鬼神"  と言ったとき、建築物に人がすむように名に物がすむ、と、徂徠は比喩的に考えていたかもしれない。「聖人」の前に" 鬼神"  という人はいなかった、この書記言語のあり方を徂徠はズバリ指摘していた。聖人に名づけられて、" 鬼神" という物が祭祀の対象として成立するにいたると考えることができた。仁斎ならば人と人との関係として考えることが大切であるが、徂徠の課題は自然哲学的に物の関係として考えていくことにある。今日の言葉で言えば、知識人であった仁斎と徂徠。もし彼らが生きていたら仁斎は倫理学のチャンピオン、徂徠は社会学政治学のチャンピオンになっていただろう。知識人としての彼らが自身を天の孔子に同一化することはなかったとおもう。同一化は反知性主義である。とくに仁斎の場合、学を介して人間の有限性に即して無限へ行くことが要請される。同一化は仁斎の構成ではない。子安氏の本を読みながら、古学と呼ばれる二人の思想の間の意義深い差異は何かを考える。仁斎は天への信があったけれど、" 鬼神"について語ることを避けたー 『孔子は「宇宙第一の聖人」』といっているようには。他方で徂徠は天の" 鬼神"  を信じた。徂徠の場合、" 鬼神"を言った聖人の存在を古代に遡ってかんがえてみる。そのとき問題となってくるのは、名と物との乖離である。失われた意味を読むためには、古人の言を研究しなければならない。徂徠の学問は古文辞学といわれた。徂徠の"弟子"であった宣長にとって、古人の言に古人の心がすんでいるだろう...‬