仁斎論語

‪<死生>の教説を解体する‬ ‪

2500年前の孔子の言葉は『論語』にどれくらい保られているのか、これを調べるのがは文献学的アプローチである。研究が自らの正しさを研究する。この実証とは別の方法から、『論語』という原初的テクストが存在するとして、それに依拠することの意味を問うのがポストモダン孔子の構成である。『論語』を読む前に、内部の読みに絡み取られないように、読めるようになっていなければならない。それは、他者と共に、古典に依拠することの倫理的意味をできるだけ明らかにしていくことだ、と、わたしのような門外漢でもなんとかわかってきた。孔子と仁斎の祖述者 (子安氏)のもとに集まってくる市民にとって、他者とは、17世紀の仁斎であり、彼が脱構築した朱子であり、ポスト孔子の言説者達そして孔子と彼の弟子達である。問題なのは、連続性である。最大の継承者を失った孔子の悲しみを読んbだ、『思想史家が読む論語』から引く。
「顔淵の死に際して発した孔子の言葉が『論語』に残されている。この言葉があることによって、『論語』は私にとって貴重な書であるともうえる。それは何も教えるものではない。ただそこに何がしか教えを語る言葉以上に心を打つものがある。われわれはそこに端的に孔子の言葉を読むべきだろう。」、「『我を知るものはそれ天か』と、孔子が究極的な信を置くその『天』に向かって、『天予を滅ぼせり」と嘆いているのである。『ああ、自分は天からも見放された』と。それは孔子における究極の挫折をいう言葉でもある。仁斎らの注釈の言葉は、悲しみの理由を語ることで、孔子の悲しみそのものを見失なってしまいように思われる」。
意味が蘇ることがない、あたかも言語の端にいることの有限性をこれほど伝えてくる終わりは孔子の前には存在しなかっただろう。終わりは孔子から始まった。未来は、思考できない書記言語を受けとるだけであろう。仁斎とともに現在のわれわれは、不可避の他者(漢字)から、思考できないことを思考することの試練に向き合うのである。‬要請された、17世紀という時代。外部の思考として仁斎論語を読むこと。