事件としてのゴダール映画史

いきなり極右翼が襲撃してきたのでしょうか?否、解体<マクロ経済学>の教説化がありました。また左翼知識人の転向が起きていました。民主的介入への視線を遮断してしまうような、ヘーゲル唯物史観のこだわりがありました。そのことは指摘されていますが、どうしても無視できないことは、本来ならば経済学が倫理学のかわりにそこで機能していたはずの、政治と法のあいだの領域に、ゴダールが盲目的にいう、祀られる死に場所、沈黙する映画スクリーンの消滅があったということについてはだれも言おうとしないのです。ビデオ『映画史』前半を覆う暗闇は、70年代のラジカルな問いからの投射という性格をもつのだけれど、映画の歴史をたたえる見せかけの光の後に、90年代後半にあらわれてくる暗闇の奥の光は、大衆がその住処にかえはじめたへイトスピーチに侵入する事件性であったとわたしはかんがえています。