仁斎論語

『仁斎論語』の全体を見渡す崖っ淵を為す"あとがき"の始めに、本居宣長から語り始めるのはどういうわけだろうか。荻生徂徠が出てくるならわかる。宣長は、理としての<始め>ではなく、学びであるところの<優先される概念>なのか?


「それは『古事記』を絶対的に選択することと、『論語』を絶対的に選択することとの決定的な思想的位相の違いを明かにするためです。そして私が『古事記伝』ではなくして『論語古義』を絶対的に選択することの思想的意味を知ることを願ってです。」子安


18世紀の荻生‪徂徠は、17世紀における仁斎の朱子にたいする思想闘争の後に、共同体の祭祀とともに鬼神が儒者の言語にすんでいるということを初めて指摘した。そこで彼は「言説」discoursと等価なものを発見していたのである。二十世紀のフーコは「労働」「生命」「言語」が言語を住処としている近代の配置を分析してみせたが、その三世紀前に既に、徂徠は鬼神が言語にすんでいるという「言説」を問題にしていた‬。宣長は絶対的に選択された言説としての「古事記」問題ー「日本人」が住処とする「古代日本語」ーを発見していくだろう