Art in theory

イギリス人たちの手による編集だとおもうけど、これで知った、いやずっと知っていたのだけれど、1648年と1815年というのは大切な年。知は自らとの新しい関係を作っていくために、それはアートを絶対的に選択していくことになった、1648年と1815年は、イギリスからすると、王と貴族が独占していた知が民に共有されていくことを証言する年なんだね。このことは、徳川ジャパンの1627年と教育ピークであった1840年と興味深く比べられようか。(天皇・貴族・寺社の特権者たちにかわって、町人をはじめ民衆が学問を通じて知に接近していった) Art in theoryとは、芸術の読みとしての成り立ちを考えさせる。芸術家たちも「自分等の」作品の意味について知っているわけではなく、沈黙している作品を読んだのである。解釈を作る欲望はどうしようもなく盲目的と言わざるをえない。沈黙する作品の傍らで、知が自らを豊穣に語ることをやめない。Art in theory の<in> の意味を意味づけてみると、どいうことになるか?アートは、「危機の17世紀」から始まることで、言葉(理論)を住処とする、と同時に、ヨーロッパの近代が言葉(理論)を住処にしていくということかニャ。