『伊藤仁斎の世界』を読む

‪『伊藤仁斎の世界』(子安宣邦著)は、私の知識と能力を遥かに超えてしまった本ですが、ここに書かれている仁斎と朱子の思想闘争の展開をなんとか追っています。アジア思想は天を物語る三種類の見方があります。天道と天理と天命。問いたいのは、天は存在するとして、それはどこにあるのでしょうか?そしてここで、天だけでなく、言葉のあり方も問おうとしているのです。始まりも終わりもないような起源をもたぬ運動が小さな箱(6次元)に生じるように、天は言語を住処としているのですね。仰ぎ見るその天はずっと沈黙しています。何も語りません。言葉は語ります。このとき言葉は自らについて語ります。仁斎は朱子の体系を保つようにみえて、結局天道と天命を媒介する天理は必要とされなくなるということになります。脱構築的読みですね。人において天理によることができなくなるのは、人にたいして言葉は定言命法としてあらざるを得ないからではないでしょうか。‪誠の字の意味が再発見されます、というか、発明されます。仁斎ははじめて「誠」を語ったのです。仁斎の前はだれも「誠」を語らなかったということです。そうして、自然哲学的形而上学の思弁的見方は倫理学の見方に置き換えられることになりました。朱子は終わったのではありませんが、仁斎の朱子とは別の形で朱子を語るときは、仁斎との思想闘争をはじめる必要があります。