『江戸思想史講義』

‪江戸思想史は、わたしの中では、伊藤仁斎で始まり本居宣長でおわるというものであった。だがそれはいつの間にか勝手に思い描いてしまっていた風景に過ぎなかった。中国語訳の江戸の思想史の空間を参考にしながら、『江戸思想史講義』(1998)は目次をみると、「孝」の中江藤樹と「敬」の山崎闇斎が、「天命」の仁斎に先行している。荻生徂徠は三宅尚斎と「儒者」の中井履軒の中間にある。「物哀」の本居宣長の前に賀茂真淵が置かれている。こうした江戸の思想史の空間は何を意味するか?儒教の内部解体から国学が誕生するというような近代がいかに二項対立の物の見方に依存しているかを示す。しかしそんなに線形的に単純ではない。徂徠と仁斎に向けられた非難が、古い言説と新しい言説との間のズレから起きてくることがわかる。また近代から神話的に物語られる真淵と宣長との出会いがいかに複雑な距離を構成していたかがみえる。‬そしてどこからも仁斎論語というものがみえてくるのだ。子安宣邦氏が描いた江戸の思想史の地図は、近代の物の見方の中でそれとは異なる見方を与えてくれる、多孔性の空間であるとわたしはおもっている。