排除

コインに表と裏があるように、共感というのも常に両方の面を考える必要があると渡辺一民さんは言っていました。三浦さんの映画評をちらっと読むと、共感の欠如を問題にしていました。ここから、世直し的救済論に絡みとられると何か怖いかんじがします。「われわれ」と「彼ら」の間の境界を自分で作っておきながら「彼ら」にたいする実存的不安をかんじている「われわれ」。分断する必要のない人びとをいきなり囲い込んで、「テロリスト」と勝手に名づけることによって、他者を自分でわからなくしていく一方的な指示作用。<わかる/わからない>の意味論的対立から、<内と外>、<味方と敵>というふうに排除の論理を自らの内部から自己増殖させていくのでしょうね、他者との接触を通じてはじめて豊かになって行く文化のあり方を拒んで...