『仁斎論語』

歎異抄の近代』を開いてこんなことを考えた。17世紀が12世紀をいかに読んだかを学んだ四年間を以て、読むことの不可能な過去の思想の痕跡を見ることができるようになった。しかしまだまだである。もし解釈する権力のすべてを失ったら、2500年前において始まった状態が反復しているはずなのだ。それは、漢字文化圏においてだけではなくインドでもヨーロッパでも人類的に起きてきた絶対的な喪失と選択にかかわること。思想は解釈の空間への滞在を断ち切った亡命から、神でも仏でも天でもいいのだけれど、超越者を仰ぎ見ながら、超越者と人間との間の交換不可能ー信の構造ーを外部に向かってはじめて語りだした。