アジアのポスト構造主義

‪革命とは支配者が変わるだけで、支配の構造それ自体は変わりません。だけれど反近代の原理主義が他者否定の理性を以て革命の政治災害を正当化します。同じ反近代からする「生命」という名の民衆史的ユートピアにも同じ危険があるかもしれません。そして現在問題となっているのは、「反米主義」からする「アメリカ主義」というレッテル張り。さてアジアのポスト構造主義のあり方として、反近代の反復される物の見方とは異なる見方から、グローバル資本主義の格差を批判していく社会的公正justiceの構成とその実現と結びつく努力に意味があるとおもっています。構想される日中関係の回復のなかで東アジアにおける社会的公正justiceを共にいかに構成していくかを一緒に話し合うときがやってきました。ヘイトスピーチしている場合じゃないですよ‬


王政復古」という形で天皇政治責任を押しつけたことの問題は、責任をもたぬ政府を成立させてしまうことにありました。これと同様に、現在市場に何でもかんでも委ねてしまう結果、責任を持たない政府を作り出している。政府を自由に批判する民主的介入の可能性を潰そうとしています