オリンピック

世界の多数派を構成していますけれど、貧しい国の場合は、世界記録保持者といえども、国は渡航費と滞在費を出せないのですね、私の上司の教え子(大学生)がそうでした。家族と話合った結果、オリンピックの本来あるべき姿ではないそのコマーシャリズムの傾向に反発してギリシャ行きをやめました。世界大会でこそ、個人の記録達成を実現すべきだという考えだったようです。ステレオタイプ的に、オリンピックに向かって頑張る家族像は、家族をはじめとする人間関係の自立性を隠蔽する危険がないですかね。こういう復興幻想は東京オリンピックを推進する国家がいくらでも利用するかも?‪私にとって無視できない例外として、反対して頑張った家族の場合を考えると、家族とオリンピックとの関係を表象させる救済論的言説にしたがってわたしにおいてはどうもそれほど単純に図式化できないようです‬