オリエンタリズムとはなにか

オリエンタリズムとはなにか


メディア研究の先生が指摘していたが、アイルランド人は自分たちがヨーロッパに属していたことを初めて知らされたのは1970年代EU加盟のときからだったという。リーマンショックまで、「ケルトの虎」と呼ばれた経済発展が起きるのだけれど、「ケルト」の意味なんか知らない。それは米国資本を誘導する国策アイデンティティだった。さて今朝BBCラジオ放送はまた'civilization' (文明)ということばを語っていたのだね。好きだよなぁ、この言葉。中流ナショナリストを自負していた友人もこの'civilization' (文明)に弱かった。文明はヨーロッパを意味する。そしてそれをアイルランド人に向かって語るのは、ほかならない、イギリス人である。ジョイスが書いた小説を読んだダブリンのエリートたちが現地の人々に教育(文明)を与えたのは完全に失敗だったといった後悔を語ったエピソードが英国植民都市の現実を語っていた。非常に単純化していうと、ゲールの純粋アイルランドのようなナショナリズムが起きてくるのは、文明(=ヨーロッパ)にたいする対抗からであった。間違いをおそれずに比較すると、ヘーゲルの論理の運動みたいに、アイルランドはヨーロッパである、は、アイルランドアイルランドである、となった。完全な否定はその完全な否定をもたらす。この鏡像的反転は言説としてことばにすんでいる。オリエンタリズムを為すこういうことは、日本においても起きたようだ。日本はヨーロッパである、は、日本はヨーロッパに属さない純粋なわれわれ自身である、という風に。福沢諭吉脱亜入欧にたいする国民道徳、ヨーロッパの知が語る東洋の美にたいする大東共栄構想。‪また文革とは近代がもたらした政治的災害だったのに、明治維新と戦後改革にたいする完全否定から、対抗的に、文革を終わらせようとしない日本知識人が目覚めることができない純粋毛沢東主義への憧憬など‬