デモ

‪別に柳田国男じゃないんだけれどね、旅人のごとくデモの現場に来てみると、国家の全体は力に頼らなければ権威を保てないことがみえる場所が必ずある。また恰も外国にすむ生活者として留まるとき、そこに集まった人びとの訴える声が最もきこえてくる場所もどこかに存在していると想像するのである。さて一体なにが「防衛」されているのだろうか?国家の全体は固有のものを発見してこれを「防衛」しようとしているのではあるまいか。問題は、それに対して、逃げ腰でもなんとか逆らってやらなければもうやっていけなくなったと考える思考と精神の場所はどこにあるのかである。再語りの二番煎じといわれてしまうかもしれないが、これを視れども其形見えず、これを聴けども其声聞えず、である