「文献学ニヒリズム」

厳密詳細な文献学批判を展開する近代知は、現前のテクストが「不確かなテクスト」としてみなし、剰余的付加物を取り除いて、想定された「確かなテクスト」へ探索する知の働きである。問題は、この探索に純粋さのもとに絡みとられる意味作用があること。「幻滅する」のは、純粋という「本物」に、知におけるシーソーゲーム的の二項対立的秩序の近代を見抜くときである。人文科学の知を構成する文献学批判は、行き過ぎると否定と不信感の記述となる、危ういかな。それは言説を成り立たせるひとつの形成である。構造<だれかがだれかのために語る>は、対象を「不確かなテクスト」として、「確かなテクスト」を指示する帝国主義的知によっていることをどうしても考える。それは政治の言説に繰り返されるからである。たとえば、大量殺戮兵器が無かったイラク爆撃について、開きなおったアメリカがイラクにかわって語ったのである。イラクには確かな政府が必要で、米国は不確かな政府を取り除いたという内容のことを言っていた (「純粋イラク」の発見!?)