ソクーロフはいかにルーブル美術館を語ったか

ルーブル美術館をヨーロッパ起源と等価なものとして再構成するのは、アジアから船で運んできたオブジェたちでこの建築物を作ったナポレオンの植民地主義を隠蔽する作り物語だろう。だけれどこの種の隠蔽は第二次世界大戦で起きた。不潔なボヴァリー夫人の映画を実現した、ロシアという外部の視点を以て、ソクーロフは、帝国ドイツが発明したヨーロッパ起源のルーブル美術館の映画を語っている。ドイツは文化政策によって「普遍主義」の内部に支配者の痕跡を消したのである。これに関してやはり言っておかなければならないのは、その反対の方向から、近代日本は「特殊」の中にアジアにおける支配者の痕跡を消したという事実である。世界でも稀な、「国土」として表象された、ヨーロッパ帰りの知識人の「土」への執着は、ヨーロッパ(ドイツ)からの差異化として説明されることなのだろう。支配者が普遍に身を隠すか、特殊に身を隠すかの違いがはあるが、問題は、文化の目的と国家の目的が一致させられた危険な全体性から、国家が隅々まで監視することをゆるす方向がすすむことである。そこで監視される国民が自らを監視する。この生きた文化を理解しないものは排除されるべきである、と。監獄を必要としない文化のあり方、これは、『監獄の誕生』フーコのテーマであった。映画が語らないことが重要である。それは、伊勢サミットを受け入れてしまった21世紀のわれわれは、1940年代における文化と国家の結婚からそれほど自由になっているのかという問題提起である。‬