寅吉、Go ! ー 平田篤胤『仙境異聞・勝五郎再生記聞』

寅吉、Go!


平田篤胤の『仙境異聞・勝五郎再生記聞』(岩波文庫)、なんか凄いことになっていますが、その意味を問う必要があります。鎖国?みたいな時代の閉塞感みたいなものが外部世界への想像を爆発させているのでしょうか。


「仙童寅吉200年」とは何か


‪「明治維新150年をいうより、仙童寅吉200年を考えた方が日本社会にとって大事であるかもしれない。」と子安氏は書かれています。なるほどそうして考えてみると、まだ200年しかたっていないんだと感慨深いものがありますが、文政3年(1820)の江戸から、50年で、明治維新が来ることの意味を考えることに。すでに情報社会であった江戸社会は異界情報をどう読んだのか、このことを平成が終わろうとする日本社会は自らを読むために読もうとしているようにみえます。情報社会の「情報」とは、知と知との出会いのことでしょう。異界情報の「異界」は、共通の空間そのものが、そこでは崩壊しているということを意味しているのか?否、というか、統一しようとすることが無理なようなそれです。ここが「明治維新150年」における統一を考えるより全然面白いところなのではないでしょうか。明治維新が語る「王政復古」という知の無理を明らかにしようとするとき、明治維新が築いたその150年<後>から考えるよりは、仙童寅吉とともにその50年<前>から考えるほうがみえてくるものがあるのではないかと思います。