私は自分が何も知らないことを知っている ー 「仙境異聞」を読む

‪私は自分が何も知らないことを知っている


"I know that I know nothing" (私は自分が何も知らないことを知っている)は、私の経験からいうと、日常において誰のどんな会話にも属さない文だとおもう。この文はアルファベットそのものと同じように、決して現前の文に現れてくることがないだろう。専門家ではないけれど、Sciō mē nihil scīre というラテン語を読むために、仮に近代ヨーロッパ語が自らを再構成していった結果、こういう文、"I know that I know nothing" が出来てきたというふうに考えたら、どういうことが言えるのだろうか。「私は自分が何も知らないことを知っている」、だから、私は視るのであり聴くのである。再帰代名詞的に対象が秩序づけられる形で言われるこの<知る>に、対抗的に、その否定の形<知らない>が含まれる。そうして、<知る>かその否定にかかわらず、<知る>が<視る><聴く>に先行する。私は自分が何も知らないことを知っている、と。前書きが長くなってしまった。この投稿では、仙童寅吉の証言とは何だったかを考えてみたかった。あなたが仙童寅吉が見たことを彼の代わりに聴こうとしても視ることが不可能だし、またあなたは寅吉が聞いたことを彼の代わりに視るということもできないだろう。さて他者との関係を取るときに問題となってくるのは、知は自らを再構成するために、置き換えることによって、二つのこと(彼が見たことを彼が聴くこと、彼が聞いたことを彼が見ること) をいわば狂気のこととして排除してしまう一般化・普遍化が成り立つことである。そうして、知は自己のために自ら言説化し可視化する実定的な領域において閉じてしまうとしたら、この閉じた領域を<知る><知らない>ことの前提として一般化してしまうとしたら、仙童寅吉に起きた経験はいったいどうなってしまうのだろうか?


仙童寅吉の<後>に明治維新の近代がやってくるというのは、近代は全体化に依存する自己の言説を相対化してくる他者を消しにやってくるということではあるまいか?‬



‪「仙童寅吉200年」とは何か


‪「明治維新150年をいうより、仙童寅吉200年を考えた方が日本社会にとって大事であるかもしれない。」と子安氏は書かれています。なるほどそうして考えてみると、まだ200年しかたっていないんだと感慨深いものがありますが、文政3年(1820)の江戸から、50年で、明治維新が来ることの意味を考えることに。すでに情報社会であった江戸社会は異界情報をどう読んだのか、このことを平成が終わろうとする日本社会は自らを読むために読もうとしているようにみえます。情報社会の「情報」とは、知と知との出会いのことでしょう。異界情報の「異界」は、共通の空間そのものが、そこでは崩壊しているということを意味しているのか?否、というか、統一しようとすることが無理なようなそれです。ここが「明治維新150年」における統一を考えるより全然面白いところなのではないでしょうか。明治維新が語る「王政復古」という知の無理を明らかにしようとするとき、明治維新が築いたその150年<後>から考えるよりは、仙童寅吉とともにその50年<前>から考えるほうがみえてくるものがあるのではないですか