ベーコンとピカソ

ベーコンは、ダブリンで育ったが、南アフリカに行ったときの彼の子供時代を回想している。目撃した庭の奥の藪を一瞬横切った小動物にトラウマをもったという。外部(小動物)によって、自己との関係を再構成していったかもしれない。ベーコンの絵画は、存在が表象にすんでいる西欧の伝統の枠を出ないようにみえるが、存在は小動物との出会った事件に遡るだけであって、それ以前に遡っていくことはない。存在は失うために失われる。比べると、「ゲルマニカ」のピカソの場合は、描かれるのは人間化した動物である。そして存在の日付をスペイン市民戦争の前においている。民衆の顔の至上性を書くのは物である。物ならば無限にさかのぼることができる。物が可能にしてくれる。ほかならない、始原にこそ失われることのない人類の起源がある。しかし物によって至上性を与えられているというのに、人間はそこでますます失っていくのである。