フーコ『言葉と物』

‪フーコ『言葉と物』は難しいと云われるが、寧ろ易しい本だ。知識のギャップは解決できる。言及される言語学と経済学は所詮知識だ。博物学・生物学はパリ自然史博物館へ行ってくればいい。だけれど文学との関係を読むことができるか。文学は言語、労働、生命、それらの言説の中に言及されている。文学というのは、共通なものとしてどこにも在るにもかかわらず、どこでもそれらの部分となることを拒む空集合如き存在なのである。ポスト構造主義にとって存在の意味とは何か?『言葉と物』において敢えて語られなかった本を参照してみよう。スピノザの『エチカ』。共同体の形成において共通なものが不可避的にあるのは、共通なものというのは究極的に無ー絶対の差異ーであるからではないか。散歩しながら、始原的回帰の方へ行かぬ、文学=存在としての共通なものの意味を問うこと