ロンドン

ロンドン時代はリベラルな中流ユダヤ系住民が多い地域にいたが、その四年間のあいだ多文化主義を理解していたわけではなかった。宗教原理主義と宗教ナショナリズムによって、多文化主義が全部がゼロになってしまうという危機感を以て、自らとの関係を再構成していかなければならない言葉を毎日追っていくのが精一杯だった。表象<アイルランド>と同様に、地理的にイスラムは近いのだけれど、表象<イスラム>に近づこうとするとそれは遠ざかるばかりであるという思いだった。現在は表象<世界帝国>にたいして何かを言わなければとおもっていても中々できないでいるのは十年前と同じかもしれないが、宗教と一国知、この両者は同時に成り立たつことは不可能だと考えるようになってきている。だけれど、信じることと知ることは両立できる可能性があるのではないか?究極的に民はこの避難所に逃げるというのが、「民信無くば立たず」を読む私の理解である。ここで、知ることの意味は政治的に問われることが必要になってきたのであって、「他者は存在する」と問う異邦人の言葉は、「一国知」において成り立たない。だからといって知ることを原理主義的にとらえるというのではない。現在の所議会制民主主義を超えるとする「普遍主義」について彼らと共に考えて質問する權利を留保したいとおもうのだけれどね‬。‪時代遅れにならないようにポスト構造主義の再構成はこの点にかかっているとかんがえてはいるよ。‬