福沢諭吉

‪古典ギリシア語ラテン語、または古代の漢文をよく読めために、近代言語は自らの関係を再構成していった。この仮説について、もし理解できなければ、ヨーロッパに生活しようとしたとき(日本で学んだ)自己のヨーロッパ語との関係のことを考えてみたらどうだろうかと自身に言っている。古代言語があったという発見はどういう驚きだったかを想像する。わたしの理解では、古代言語は存続しているとする物の見方よりも、消滅しきったとする見方のほうから、書記言語の文法性の体制にたいするアプローチができてくる。文学も、(生活の必要から)古代言語が消滅しきったとする見方をとるジョイスから面白いものがあらわれた。文法性の体制と同時に、記号の体制が構築されてくる。それが近代。言語が自らの住処を書くという近代、ヨーロッパに属するのか非ヨーロッパのアジアにかという問いの近代。現在こうした二項対立の文明観にまだ拘束されたまま、われわれは生きているといっても言い過ぎではないと思う。記号の体制は物の見方を形成する。そこで文学は意識の成り立ちを規定する動きを証言している。たとえば、ヨーロッパにあっては、なぜ自分たちは常に中心をなすオリジナルなのかという罪悪感をもつ。これとは反対に、アジアにあって、なぜ自分達は統一を欠いたコピーなのかという罪悪感に苛まれる。だけれど‬『文明論之概略福沢諭吉はどうなのか、はっきりとわたしは読めないでいるが、罪悪感から切れた言論だということはわかる。「福沢諭吉文明論之概略』精読」(子安)を読むと、実は、「智」と(福沢によって非難される)「徳」、この両者はともに、明治維新を経ても相変わらず「公」しかない国家、「公」しかない幕藩体制を問題としていたのである。福沢は起きてくるかもしれぬ国家における祭祀一致の方向を断ち切ろうとしていた。この一文を読みながら、どのように仁斎が朱子学の鬼神論と距離を取ろうとしていたかをかんがえてみよう。福沢のラジカル・リベラリズムと「仁斎論語』は、内部における包摂から自立しようとする人間交際のあり方がなければやっていけなくなるという共通の問題意識をもっているように読める。実際に今日やっていけなくなってしまったのである。