le monde était lá
映画の歴史でなければ投射できなかったものとは、映画が<映画をみる人間>を発明するとそれ以降、人間はスクリーンに先行するもの、その外部にあるものを思考の形式を以てしかみることができなくなったという歴史である。暗闇に形而上学が呟くー 見るまえに、投射されないものが投射されいるとしようと
必要なものがまったくない。要らないものばかりだ。必要のない曖昧な映像。必要のない明確な文。だけれど明確な映像に曖昧な一文だけというのがみつからない
le seul lieu où la mémoire est esclave
語る場所などありはしないのに、
場所は自分に存在しないのに、
記憶が囚われている唯一の場が存在する
といわなければならないとしたら
それはなんというか、形而上学的なのだろうか...