‪『ユリシーズ』の鬼神論

‪『ユリシーズ』の鬼神論 ジョイスにおける系列ー 神父の死、母の死、パディ・ディグナムの死、フィネガンズウエイクの死。そしてダブリン赤線地帯の電話線で地底の棺に繋がれた蓄音機が魂の消滅を遅らせる差異と生成。フランス革命における死んだ過去の衣装(古代ローマ)を着た、差異の反復を隠蔽する、同一性の反復は、アイルランド文芸復興運動と絡んだ革命にも起きた(Kathleen Ni Houlihan、Caitlín Ní Uallacháin)。それは未来を思い出す形だったとしかいいようがない。‬なぜ近代において死んだ過去が呼び出されるかといえば、暴力における未知の経験がもたらすショックを和らげるために、この言説のなかで、反復は反復しないために反復することが要請された。言論によっては倒せない絶対権威にたいする暴力の革命が成就すると、恐らく過去は死に切った過去となる(別の支配者が来るだけ)。しかし挫折するとき、死んでいるか生きているかわからない、明治維新のような過去の姿に何時迄も苛まれることになるのではないだろうか(結局出口がない)。私は、期待されている映画をみてマルクスの鬼神論を書くことはないけれど、近代が到来しようとする時代に朱子の政治神学みたいな鬼神言説がどういう役割をもったのかについてよく知りたいとおもう。