アイルランドの国民投票

アイルランドは、ファンダメンタルの権威に絡みとられた政治問題としてあった、中絶の権利を国民投票でみとめた。それまでは北アイルランドに行く必要があった。今回のことは女性の自己決定権に関わることだけではない。市民が市民としてあるあり方が問われたのではないかとおもう。米国のイラク戦争に関わる政府に抗議した十万人のデモが先行したことを忘れてはいけない。このときはあちらをこちらのがわにつよく感じて街頭にでないわけにはいかなかったのだ。


‪挿話<太陽牛の神>(『ユリシーズ』)に、胎児に命の危機があったら母を犠牲にすべきかをめぐる乱痴気騒ぎの論争がある。これを読んだのは、南アイルランドにおいては、例外的に、レイプされた少女には中絶する権利を与えるかどうかが議論されていた2000年前後だったから、非常にリアルだった。学校に配られていたらしい資料に記されている、「中絶は二度罪を犯すことになる」という教説を理解するのに10分間ほど要したことを覚えている(レイプは神に対する共同責任と理解されている)。しかしこの問題の根本を理解していたわけではなかった。問題は、近所の隣りどうしのことをかんがえるときに、あまりに遠く高い所からしか隣人のことをかんがえることができないことにあるのではないか。これはなんというか、市民が市民としてあるために何を考えなければならないというときに、国家創設のファンダメンタルの原理主義に突き刺されていたというか。そうであれば、この問題は、グローバル資本主義の時代の格差に取り組む市民が市民としてあるために何を考えなければならないというときに、明治維新の国家を取り戻そうとする安倍政権の問題でもあると私はおもっているのだけれど