映画マルクス・エンゲル

監督の1968年をどうみるかという視点がいかに、1840年代に反映されているのか?映画は、フェミニズムの演劇が先行しなければ、イェニーにマルクスが意見を求める場面をもたなかっただろう。経済革命なき政治革命には、政治革命なき経済革命にもまた、青年マルクスからみると思想革命が無い。マルクスは『貧困の哲学』のプルードンのために『哲学の貧困』を書き、イギリス労働組織委員メンバーにたいして蜂起の思想的根拠を問う。だけれど思想の内容がなにであれ、言論の弾圧を受けたマルクスエンゲルス、イェニー、プルードンを自由に喋らせた当時のパリは、多孔性ともいうべきその不透明なものとの出会いを可能にした空間をもっていた。政治的亡命者を受け入れていながら、集会で代表として承認された壇上のエンゲルスが彼が称えるそのマルクスの本を読み上げたり、エンゲルスがイェニーにマルクスが書いた文を正しく読ませるというロンドンとの違いは何だろうか?



「経済学がその原理を見いだすのは、もはや表象の働きのなかにではなく、生命が死と直面するこの危険極まりない地域の側においてである。」(フーコ)
映画のなかで、マルクスエンゲルスとが同じ悪夢で目が覚めるというイメージを面白く観た。それは、マルクスの初期論文から感化された大島渚における生命の意味を問うた『愛の亡霊』を思い出したが、地面の枝葉を拾いあつめた貧民を狩る警官たちが殺戮する場面だった。さて映画のなかでエンゲルスマルクスリカードを読めという場面では、マルクスはいかにリカードを読んでいくのかという点に注意を払えと伝えているかのような印象をもった。ここから、1968年の近代批判からする19世紀のマルクスの読みを問うことができるかのように。そうして、『言葉と物』のフーコはいかにマルクスを解体的に読んだのかをわたしは帰り道にな思い出そうとしていた。19世紀の時代こそがマルクスの見方を書いたという問題意識を以て、マルクスの言説を分析したのである。もちろんこうしたことを考えるのは、、2018年の現在を問うために行われるのであるけれど。以下「言葉と物」第8章(渡辺一民訳)、労働、生命、言語 からの抜粋。

 「リカードの『ペシミズム』とマルクスの革命の約束とのあいだの二者択一など、ほとんどどうでもいいことなのだ。そうした選択方式は、経済学が希少性と労働という二つの概念をつうじて創りだした、人間学と<歴史>との諸関係を通覧する二つの可能なやり方以上の何ものも示してはいない。リカードにとって、<歴史>は人間学的有限性によってしつらえ、たえざる欠乏によってあきらかにされる窪みを、歴史が最終的安定点に到達する瞬間まで満たし続けてくれるものであり、一方、マルクスの読み方にしたがえば、<歴史>は、人間から労働を奪いとることによって、人間の有限性の積極的形態をーついにあかるみにだされた人間の物資的真実をー浮き彫りにしてくれるものに他ならない。

たしかに、所説のレベルにおいては、実際も選択がどのように配分されたか、ある人々が第一のタイプの分析を選び他の人々が第二のものを選んだのはなぜか、難なく理解できるだろう。けれどもこうしたことは、まったく学説論的調査と扱いに属する、派生的な相違に過ぎない。西欧の知の深層のレベルにおいて、マルクス主義は実際にはいかなる断層も生じさせはしなかった。それは、おだやかで安心のいく充足した形象として、当時の認識論的配置の内部に難なく場所を占めたのであり、しかもそこに好意をもって迎えられ(それに場所を与えたのはまさしくこの認識論的配置だったからだ)、マルクス主義のほうとしても、完全にそのような配置に依拠していただけに、その配置を乱そうとする意図も、とりわけ、わずかでもそれを変質させようとする力も、もちあわせなかったのである。マルクス主義は19世紀の思考において水のなかの魚のようなものであって、それ以外のどこででも呼吸するわけにはいかなかっただろう。マルクス主義が経済にかかわる「ブルジョワ」理論に対立し、その対立のなかで、「ブルジョワ」理論に対抗して<歴史>の根源的転換を企てたとしても、そうした葛藤と投企は、すべての<歴史>の奪取ではなく、19世紀のブルジョワ経済学と革命的経済学とをおなじ様態にもとづいて同時に規制してきた、考古学全体によって正解に位置づけられうる出来事を、その成立条件としているのである。両者の論争が、何らかの風波をかきたて、表面に波紋を描こうとも空しい。所詮それは子供の遊ぶプールの嵐にすぎない。‬

本質的なことは、経済の歴史性(生産諸形態との関係における)、人間の実存の有限性(希少性と労働との関係における)、<‬歴史>の終焉の期日ー無限の速度減少であれ、根源的な逆転であれーそれら三者が同時に姿をあらわす知の配置が19世紀のはじめに成立したということである。<歴史>と人間学と生成の停止は、19世紀の思考にたいしてその主要な網目のひとつを規定する形象にしたがって、互いに依存しあっている。たとえば、こうした配置が古典諸学(ユマニスム)の疲弊した善意を蘇らせるために演じた役割は知られているし、それがいかにして完成された非在郷(ユートピア)を再生せしめたかは周知のことであろう。古典主義時代の思考においては非在郷(ユートピア)はむしろ起源についての夢想として機能した。つまり、世界の新鮮さは、それぞれの物が、その隣接関係、その固有の相違性、その直接的等価性をともなってしかるべき場所におかれるような、表(タブロー)の理想的展開を保証するはずだった。そうした最初の光のなかで、表象は、それが表象するものの生き生きとして鋭く感覚的な現前からまだ引きはなされてはいなかったのだ。ところが19世紀になると、非在郷(ユートピア)は、時間の朝というよりもむしろその凋落かかわってくる。つまり、知は、もはや表(タブロー)といった様態でではなく、系列、連鎖、生成といった様態で成立させられるのであり、約束された夕暮とともに終末の闇が訪れてくるであろうとき、<歴史>の暴力は、その岩のような不動性のうちに、人間にかかわる人間学的真実をほとばしらせるのにほかならない。暦のうえでの時間はなお続くかもしれない。だがそれはほとんど空虚なものであろう。歴史性は、人間の本質に正解に重ねあわされることになるからだ。生成の経過は、劇的事件、忘却、疎外といったそのあらゆる可能性とともに、人間学的有限性のうちに捕らえられ、逆に人間学的有限性のほうでは、そこにおのれの輝かしい顕現を見いだすであろう。<有限性>はおのれの真実とともに<時間>のなかに示され、そのことによって<時間>は<有限>のものとなるわけだ。<歴史>の最期についての偉大なる夢想こそ、起源についての夢想が分類学的思考の非在郷(ユートピア)であったように、因果性の思考の非在郷(ユートピア)なのである。‬

‪Foucault  ー Travail, vie, language 

‪Mais peut importe sans doute l'alternative entre le <pessimisme> de Ricardo et la promesse révolutionnaire de Marx. Un tel système d'options ne représente rien de plus que les deux manières possibles de parcourir les rapports de l'anthropologie et de l'Histoire, tels que l'économie les instaure à travers les notions de rareté et de travail. Pour Ricardo, l'Histoire remplit le creux ménagé par la finitude anthropologique et manifesté par une perpétuelle carence, ....‬



‪But the alternative s offered by Ricardo's "pessimism" and Marx's revolutionary promise are probably of little importance. Such a system of options represents nothing more than the two possible ways of examining the relations of anthropology and History as they are established by economics through the notions of scarcity and labour. For Ricardo, History fills the void produced by anthropological finitude and expressed in a perpetual scarcity, intil the moment when a point of definitive stabilization is attained; according to the Marxist interpretation, History, by dispossessing man of his labour, causes the positive form of his finitude to spring into relief ー his material truth is finally liberated. ‬