朱子と仁斎

朱子ライプニッツを論じてカントに行くだけだったが、有限性としての人間の意味を問うた仁斎を忘れていた。近代の限界に直面したとき、形而上学を有限性に即して考えることができたのに。そこで歴史と人間は互いに重なりあう。そして問う。人間が人間であることを自ら理解する表象はどこで成立するのか‬と