共同体について

小さな人間は自らを権威づけることはできない。ロンドン時代のユダヤ系人物がおしえてくれたのは、偶像が危険なのは体系の自らを権威づける抽象性が危険であるのとおなじだ。共同体はかくも抽象的な体系にすむことができないし、共同体の成立を可能にした他者のことを考えられなくなってしまうというのだ。だが大きな人間が自らを権威づけるように、あえて小さな人間たちが自らを権威づけようとするとき、一体何が起きてくるのか?表の世界の偶像崇拝禁止の側から、裏の世界の偶像再興へ行くときに意味がでてくる。それはなにか?ほかならない、この共同体の法を制作してその名をあたえてくれた他者の存在を共に考えること、ここにとどまることなく、そのことを体系の外で人類の普遍性において考えていくということが起きるのではないか。と、おまえは再び危険な偶像崇拝に陥っていると非難する声が聞こえてきそうだ。嗚呼、救われないんだな(笑)