「もつれあう」(entangled)

無限が介入する「もつれあう」(entangled)とはなにか?「もつれあう」状態に、宗教がなければ道徳も成り立たないだろうが、このことを前提にいうと、道徳の依拠しなければやっていけぬと語る視点は過剰をみるし、宗教の絶対的に依存しなければ悪だと教える見方は語り得ぬ同一化の美の表象をみるかもしれない。脱近代は単純に、線形的に共存する多数の状態を考える。脱近代は、私の理解では、近代が記述するように死んでいるのか生きているのかわからない一つの状態ではなく、互いに外部的にある、死の状態(生が消滅した、死に切った)と生の状態(死が消滅した)、二つの状態を同時にかんがえるのではないか。