荻生徂徠

荻生徂徠


『政談』を10分立ち読みすれば、荻生徂徠は幕府のために民をコントロールすることが大切だったんだね、それは間違いないみたい。しかし『弁名』から考えるとき、徂徠はたんに民をコントロールする国家のブループリントを書いた思想家ではなかったようである。子安氏が言うように、徂徠は人類的視点をもっている。私の理解が正しければ、徂徠は聖人の鬼神を名づけた制作をはじめて言説化できたのは、世界は言語をもつことがなければ世界自身が成り立つことがないことを考えていたからではなかったかとおもう。徂徠がかんがえていたその言語は他者の言語のことだったんだね、そのことは決定的な意味をもっている