時枝誠記

西欧の音声中心主義の言説は近代言語学に投射されている。これによって漢字は二次的な役割しかなくなるとき、漢字の外部的なあり方をどこからどう見出すのか?これは再び言語学の内部から明らかにすることが不可能だ。問題は西欧と東洋が縺れあう網目にある。明治からの日本近代の知識人の宿命か、時枝誠記