仁斎

‪縺れ合いという言葉で理解していこうとするわたしは、天は外部的に天を仰ぎ見る人をもたなかったら、流行的天と主宰的天の縺れ合いが成り立つことがないと思うのです。「人間にとって天命とは?」の問いかけが消されては、仁斎にとって朱子を読む意味がなかったのではなかったかですね。自然哲学的に、流行的天と主宰的天を同一化してしまっては、人はやっていけなくなるー正座して内部の永遠の命をみるぐらいしかすることがないでしょう