思想の歴史

‪思考の優先順序としてまず考えることがある。それは分節化されない変なものである。変なものが変なものとしてマイナーなポストモダン的多様性にとどまっていたらどうなっていくのだろうか?ところがこの変なものは、近代の単線的直進に対して「なんとかしなきゃ」と考えた変なものとしてやっていけなくなったとき、失敗した近代とは別の近代を対抗的に目指すユートピアの近代に絡みとられることになってしまうのかも。国家の暴力を呼び出してきたのではなかったか?‬このことは繰り返されてきた。「近代の超克」や「68年学生運動」のときも、後期近代に起きてくる宗教運動のときも、そうではなかったか