‪「コミュ力」について

全体主義については用心深く語らなければいけないですが、避けてもいけないときだろうとおもいます。「コミュ力」の究極は、安倍首相の支持率によって言葉を変えていくある種の全体性にあるのではないでしょうか。新自由主義新保守主義の時代は、言葉を語るのは、公の信条からではなく、マーケット的な‪「コミュ力」からであるようにみえます。残酷なことをして支持率を上げるその支持率も4割程度で、自由と平等の言説を到底屈服できないですが、(不均衡のなかの均衡の如く一見、野党そのものを嫌う「一的なもの」のなかの「多様性」を保っていることが思想界にも起きていて)、現在が向かっている方向が、全体性に向かって自らをどんどん情報の客体に貶めるというような拍手喝采であることにかわりありません