1979年 (推敲中)

1979年 (推敲中)


当時の大人達に石油ショックの政治背景をたずねても大抵彼らは説明できなかったが、「イラン革命」については饒舌で、「伝統的共同体の思想をまもる革命云々」と語るのであった。そこに、清算しきれていない前近代にたいする優越感が常に厭らしく付着していたかもしれないが、はっきりと覚えていない胡散臭いさを感じたおもう。それに対する自分の反発がどういうものであるのか、その時は明らかではなかったがこしづつやっと分かってきたか。饒舌に語った言葉はただ自分達に向かって都合よく、明治維新の近代に対する完全な否定と文革への共感を喋っていたかもしれない。と同時に、そこから、明治維新の近代がやるように、前近代と一体となっているとおもわれているイデオロギーを批判していただけだったのではあるまいか。だけれど、前近代の思想には、イデオロギーを繰り返し語ればいえば何かを言ったことになるというような直進的な単純さはない。反対に、イデオロギー批判の全否定を語ればそれで済んじゃうという単純さもないのだけれどね。前近代の思想の語り口も大変複雑で、特に18世紀以降、儒教オンリーではなく、蘭学国学とが混ざり合った形をとる。こういうことも、前近代のテクストを読むようになって段々分かってきたことなのであるけれど