7月『論語塾』(飯田橋)で学んだこと、考えたこと

7月『論語塾』(飯田橋)で学んだこと、考えたこと


‪天の主宰性を意味づける思弁的存在論は、生々的運動とその始まりがあるが、歴史の概念は無いといわれる。知は歴史をもつためには、その思弁的存在論脱構築する、生々的運動に始まりがないとするほどの有限性をとらえた理念性の言説を介して、さらに知の歴史を脱構築する言説へ行く必要があった、ということであろうか。そうであるとして、さてここからどういうことが言えるか?わたしの理解でこう言ってしまうけれど、そうしてアジアの18世紀は初めて人類全体を見渡す視点をもって、歴史を語る理念をもった。それまでアジアは理念から歴史というものを一度も語ったことがなかったのである。その18世紀において、今日ならば共同体を考える社会学的視点だろうが、人類の制度としてある祭祀体系をみる視点が成り立ってきたのであった。‪‪(その視点は現在進行形で働いている。例えば、国家祭祀を、あるいはそれと等価なものを止めなければやっていけなくなるという記憶は、21世紀のわれわれの拠り所である。)‬われわれはどんな時代に立っているのだろうか?と、この問いは、名づけること、制作することがわれわれを構成しているあり方を問う制度論的意味のなかに客観的に存在している。‬客観的に存在しているあり方は、外部からやってくる、歴史的に与えられている。いかにその時代に立つのか、その場所を、(他へと連なる)偶然として、あるいは必然として自身に構成していくのか。この問いは、ヨーロッパでは16世紀から、アジアでは12世紀から始まった、と考える。お天道様の天を仰ぎ見るしかないが、それでもいいではないかとおもっている。再び12世紀のように天をわがものとしていく天朝的天理の起源の方向は無理ではないだろうか。何ゆえに、お天道様と名づけられたのか、こういう時代だからこそ考えてみようとおもっているのだけれど‪ー明治維新150年に逆らって‬