国体の現在

‪150年間もヨーロッパとその国家を追いかけてきたというのに、あちらで成り立っていることを日本でできないのはなぜだろうかとだれもおもう。人を殺すのは国家の名においてか?というか、秋水や大杉栄に対して国家に固有なものがあるとする国体が人殺しを行うのではないか。

教育勅語は国体に言及しているが、国家に固有なものがあるとする国体は昔からあった物の見方ではない。国体の概念は、明治維新以降に成り立ったという。先週の徂徠を論じた子安氏の講義のなかで出席者たちの関心が集まったが、思想史的にみると、後期水戸学に遡る国体の概念は、国の体(体は身であり、体制の体ではない)を意味したらしい。‪フーコ的に言って、戦前ほどの極端な権力の集中がなくとも寧ろ戦後民主主義の権力の拡散したあり方で、現在、国-体と等価な場が身-体なのではないか。だからこんなに東京オリンピックを実現しなければならないと必死なのではあるまいか?一考の価値があるとおもう‬