ヘーゲルとマルクス

ヘーゲル精神現象学』の読みによって、マルクスの理解が定まるのだろう。未だヘーゲルの世界史しかもたないからマルクスの思考が成り立っていないのでは?どんな素材でも構わないのだが、投射される思考の映像をみるためにはスクリーンが必要だ。しかし現在だれがヘーゲルを教えてくれるのだろうか?

精神は理念が疎外されている自然を乗り越えるというヘーゲルにたいして、『ヘーゲル法哲学批判』のマルクスが帰ったのは理念性のカントであった。もちろん同じことは繰り返されない、マルクスにとって、理念性が機能するのは、ヘーゲルがやるように別の理念性(例えば国家にこそ市民社会と家族を包摂しながら資本主義から独立している固有なものがあるという見方)のためではなかった。理念性は理念を自分たちのものにしようとする民のために働く。こうして青年マルクスは資本主義についてはあたかも天が与える宿命という如き予定調和的な見方を取らない。資本主義の問題に取り組むとき理性(ロゴス)がそこで無力となるというわけではない。また人間の人間自身を考えるラジカルさにおいて、歴史を古代の起源に送り込むことも不可能である。歴史は人間の誕生によってはじめて成り立った知なのだから。その人間が誕生し始めるのは現在からそう遠くない17世紀からである。その誕生はフランス革命からであろうと方法論的に考えるこのわたしを形式的すぎると非難しないでほしいとおもう。

 

Marx’s greatest failure, however, was that he underestimated the power of reform—the ability of people to solve the evident problems of capitalism through rational discussion and compromise. He believed history was a chariot thundering to a predetermined end and that the best that the charioteers can do is hang on. Liberal reformers, including his near contemporary William Gladstone, have repeatedly proved him wrong. (“The Economist”)