ヴェンダース

ヴェンダースの映画はドイツの戦争の傷跡だった。映画は、アメリカへ行きたかった、彼の記憶が住処とする写真の展示室。ポロライドのこだわりは人間に空間との関係を回復させるものだったようにおもう。携帯電話が写真を消滅させた、と、最近ヴェンダースが言っている(「携帯電話の映像に写真とは別の名を与えるべきだ」)。もっぱら「写真における表現」を考えればよかったのだが、発想の大転換が必要。写真が消滅した時代に、携帯の映像に名を与える、と同時に、それから差異化した「写真というもの」を考える時代がきた‬らしい。だけれどそれは可能か。写真は現実の一部を描く権利だけでなく義務でもあったが、映画が写真のあり方を相続したようには、携帯は相続していないのである。 映画を見ていると思っているが単にビデオを見ているそういう時代が来たときのことをよく覚えている。ビデオを映画と呼ぶことに反発があった。映画は制約が大きいのである。ビデオ如きものを映画と呼ぶのを許さないという感じだった。危機感をもって、映画によってはじめて実現した芸術と考えられた思想を語ることがはじまった。と同時に、コギト・エルゴ・ヴィデオ(我考える、故に我見る)というゴダールの言葉に言い表されているように、(映画ではない)、新しいテクノロジーであるビデオで成り立ってくる思考をみよと言われたのである。さて今日携帯で写真を見ていると思っていてもそれらは携帯の画面。このことは、なにか、かつての映画とビデオの関係のことを思わせる。だがビデオはビデオという名をもっていたことと比べると、ヴェンダースが指摘するように、携帯の画面は名をもっていない。現在まだそれらを写真と呼んでいる有様だ。しかし写真の制約の大きさを考えるとき、写真は携帯の画面とは同じではなくまったく異なる。厄介なのは、この写真と呼ばれている携帯の画面を自然だとおもってしまうこと。問題は、制約の多かった写真によって実現した芸術と考えられた思想が忘れられていくかもしれない。それだけではない。(写真ではない)、新しいテクノロジーである携帯の画面で成り立ってくる思考も見落とされてしまうかもしれないのである。 映画と写真は偉大すぎて、私のような日常卑近なものに近づけなかった高さがあった。比べると、ヴィデオならば紙に文章を書くことと似ていたし、携帯の画面は黒板に類似している