本居宣長

ひとつの時代そのものよりも長生きする唯一のものこそ、その時代が自ら創造した美の形態である。ある活動が一つの美にまでなるのは、その時代が終わってからのことでしかない。それからこの美は消え去っていく。‪これは『映画史』からヒントを得たのだけれど、子安先生が興味深く指摘するアドルノの考え方を適用できるか?そうだとして、果たしてどういうことが言えるか?そうして本居宣長は『古事記』の漢字の裏側から、それ自体では殆ど存在していなかった「古代世界」を、存在させたのである。そうではないか?‪ そういう「古代世界」は、理性的理念によって捉えることができるというような実体がなく、たとえると、階段しかない家のようなものであろうか。なんであれ、階段の本居宣長をこの眼で見てしまったのだからね‬