トマス・マーフィー『ジリ・コンサート』The Gigli Concert

‪The Gigli Concert

ベートヴェンなんかはヘーゲルがいう「教養 」Die Bildung の「疎外された精神」だろう。問題はオペラとの関わりである。イタリア人のようにオペラのアリアを歌いたいと望むダブリン中産階級のサラリーマンを描いた芝居を見たことがある。彼はテープレコーダーを持参して精神分析家のところに来る。アリアの録音テープを流して口をパクパクする。『ジリ・コンサート』はトマス・マーフィーという労働者階級出身の脚本家が書いた芝居で、アイルランド人の英語を距離なく喋ってみたいとおもう自分と重ねて舞台をみていた(わたしは『ユリシーズ』をドラマ化したラジオ演劇のテープをきいていた)。芝居はなにを問うていたのだろうか。島の持主であった魔女シコラクスの息子キャリバンのように、「人格を放棄して目に見える何者かになる」とき、「自然のありのままのあり方」なのかと問うた。それだけではない。それを問うナショナリズムも問う‬ていたと私は思うのである